2024-12-18 Netflixの『百年の孤独』を見る
Netflixの『百年の孤独』を見る。まだ1話と半分くらい。 読みながら思い描いていた映像からさほど遠くなく良くできているなと思いはするが、私があの小説を評価している雰囲気、あの世界にある体温や湿度、文化の匂いや人間や物の根っこの張り方はずいぶん希薄になってしまっているなと感じた。
あの小説の面白いところは厳しい現実や過酷で残酷な生き物としての人間の運命と、現代の文明社会では奇異に捉えられるような現象に対してもニュートラルだったりユーモアや毅然とした構えで対峙する感じ、しつこくしつこく情念を燃やすんだけどそれが一過性じゃなくてその情念や夢や空想すら歴史を持ち変容したり現実を侵食したりするような感じ、…
百年の孤独を映像化するとしたら、ビジュアルや物語展開への忠実さよりも、この小説が持つ文化、匂い、性質みたいなものをこそ濾し取ってほしかったなあと思う。
登場人物たちは現実と非現実なものが混じり合うような世界に住まう住人である。そこで生まれ、育ち、呼吸し、咀嚼してきているので(現実に幽霊がいるかどうかということより、少なくともマコンドの住人はそういう非現実的なことを日常のすぐ近くに感じ、そういうものを許容する目で世界全体を見ている)おのずと会話の雰囲気や、出来事に対する反応は現代の私達みたいなもの、私たちの予想の範囲内のものではないはず。それなのに、登場人物のセリフの端々に「現代のドラマ制作の教科書通りのセリフ回し」みたいなものが匂う。そのため、超常現象が彼らの肉体に馴染んだものに見えてこない。ただの不思議なものに見えちゃう。
不思議なものには変わりないのだけれど、マコンドのひとたちはそれと共に生きている。個人差もあって誰もがすべてを淡々と受け止めるわけではないけど(驚いたり追い払おうとしたりはするだろうけど)なんだか、このドラマに出てくる人物たちはマコンドに暮らしていない他所からのキャストのようにしか見えない。
ここがとっても残念。夢も日常も渾然一体となってそれをのしのし歩いている感じが魅力なのに!それが映像化できるとしたらどんなものが見られるんだろうと楽しみだったのに!
百年の孤独を映像化するにあたって一番大事なのはこの文化の匂いと、それを染み込ませて連綿と続く人間たちの存在から匂い立つかおり、にじみ出る感触、これこそをどうにか再現することだったんじゃないかな(と個人的には思う)。
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例えばNetflix版『三体』はストーリーも登場人物も全然変わっちゃっているけれど、そこに齟齬は感じなかった。 人物も中心となる文化圏も時間軸さえ変えてしまっているけれど、うまいこと移行できているなあと思った。見ていて感覚の引っかかりがそんなになかった。
百年の孤独は見た目こそ忠実なのだけれど、でも私がこの小説に見ていた魅力の一番核となる部分、ほんとうに微妙なことでうまく説明できないけれど、その文化の中で呼吸しているからこそ語尾が変わったり表情はこうじゃないだろうといった小さな部分に、たまに引っかかりを感じながら見ている。
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私が一番楽しみにしていた氷に触るシーン、絵としてはとても良かった。
それなのに、ナレーションで氷に触る前にすでに「冷たい煙がたちこめている」みたいに説明してしまっていてがっかりだった。だってこれは、生まれて初めて氷というものを見るシーンなんだよ!目の前にあるものが一体なんたるかを知らない、存在を想像すらしたことのなかった物体。(ホセ・アルカディオは「世界一大きなダイアモンドだ」と息子に説明するくらいなんだから)しかもこのあと、氷に触ったアルカディオはこれを「煮えくり返っている」と表現する。それなのに、先に「これは冷たいのです」なんて言わないでほしい。ナレーションは登場人物には聞こえていない。でも、この、現実には安っぽいに違いないのにこの親子にとっては異国の魔法のように見えるバザー、その中でヴェールに包まれた、遠い国から来た大きな輝くなにか。それを親子が体験するのと同じようにテレビの前の私たちにも見せてくれるのがこのシーンなんじゃないのか。
しかもふたりが氷を触ったときの反応!!あんな反応で済むわけないって思う。絶対、触った瞬間びっくりして手を引っ込めるでしょ。まあホセ・アルカディオは百歩譲ってあの触り方でも良いとしよう(原作の彼だって静かに興奮を味わうタイプだった)。でもアウレリャノは絶対あんなのんびり触らなかったはず。だって「煮えくり返っている」んだから。1秒も触っているはずがない。あんな薄い反応、あんな平静な目のまま、のちに死を目前にしたときにまざまと思い出す最初の体験をこなしてよいのか。
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…と、全然気に食わないかのように書いたけれど、この作り込まれた映像が見られるのは嬉しい。舞台自体はよく描かれているから。この先も見たいシーンがあるし、まだ見ぬ登場人物のイメージも…、続きが楽しみです(楽しみなんかい)。